松本城

jichan

2012年09月07日 19:21

400年の風貌
国宝 松本城
長野県松本市丸の内4
マップコード  75 851 228

松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです 戦国時代
になり世の中が乱れてくると 信濃府中と言われた松本平中心の井川に館を構
えていた信濃の守護小笠原氏が 館を東の山麓の林地区に移すと その家臣ら
は林城を取り囲むように 支城を構ええて守りを固めました 深市場も志城もこの
ころ林城の前面を固めるために造られたのです その後甲斐の武田信玄が小笠
原長時を追い この地を占領し信濃支配の拠点としました その後天正十年(15
82)に小笠原貞慶が 本能寺の変による動乱の嘘に乗じて深志城を回復し 名を
松本城と改めました                       パンフレットより

                                   2012年8月18日撮影





400年の風貌
国宝 松本城

現存する日本最古の五重天守にふさわしい風格ある環境景観 松本城





黒門

本丸に入る正門で 櫓門と枡形からなり 本丸防衛のかなめ
である 一の門(櫓門)は昭和35年(1960)に復興し 二の門
と袖塀は平成二年(1990)に復元されました







ボランティアの叔母さんも観光客の記念撮影に一役かって
いた






暗い部屋に明り取りの扉が蝶つがいでつけられていた




石垣の上の黒い壁が石垣より飛び出して建てられている 
見づらいが左門に四角い穴が見える これが石落そして壁
に開けられた穴が狭間(さま) 
天守閣では 戦国時代の主力武器であった鉄砲戦への
様々な備えを見ることができます 厚い壁には矢狭間
鉄砲狭間が合わせて115か所あり 天守 乾小天守 渡
櫓の一階には石落が設けられています 石落は石垣を
上ってくる敵を防ぐ工夫で 狭間と同じように鉄砲を使っ
ての攻撃も可能な武備でした

ここを右に回り込んでいくと渡櫓(天守への入り口)


戦うための黒い頑固な天守 平和な時代になって造られた優雅な辰巳附櫓 
数々の優れた築城技術を今に伝えています





ここからは大きな画像でご覧いただけます




下の2枚は同じ位置で撮影したものです 
先日夜来て1枚写しておいたものと
次の日写したものの2枚です








あなたにおススメの記事
関連記事